長距離移動と空港泊による疲労
世界一周一カ国目の中国は、旅の魅力を十分に私に魅せてくれた。
中国はこれから始まる長い旅の一か国目として相応しい国だった。
話した人も、視界に入った人も風景もすべてに感謝している。
今回は上海近郊しか行かなかったが、内陸の成都あたりの四川省周辺はかなり興味がある。
観光ビザを取得してじっくり中国を回れば良かったと、いま猛烈に後悔している。
私の旅は無期限の旅なので、再び中国に行くという選択はできないこともないが、旅もまた人生と同じように後戻りはできないと沢木耕太郎大先輩が仰っていたと記憶している。池田大先輩も後戻りは世界一周失敗への入口といっているのだから、後戻りはしない方向でいけば間違いはないだろう。
上海浦東国際空港より出発した中国東方航空。
広州乗り継ぎでバンコクへと向かう。
広州行きはほとんどが中国人で、外国人は私以外見つけることはできなかった。
広州の空港での待ち時間は4時間程度だったが、待つにしても長いし外に出るにしては短い微妙な時間だった。結局空港内に留まった。
バンコク行きの中国東方航空の機内は予想以上に、中国人の旅行客で埋め尽くされている。これまたほとんど中国人。
パタヤに行ってからのちに知ることになるのだが、この時点では、中国からのインバウンドの多さをまだ分かっていなかった。
それにしても多かった、おっさんとオバちゃんは特にうるさいのは、本当になんでなんだろう。
3時間ほどのフライトでバンコクに到着。
バンコクはもう夜中だった。疲れ果てていた。
バンコクのタクシーは安全と聞いていたが、さすがに夜は怖いので空港泊をする予定だった。
それと、バックパッカーといえば、こういう時は空港泊をしてしまうイメージだったので、ちょっとやってみたかったのだ。
結構ベンチで寝ている人がいるので、どうやら安心そうだ。
私は横になれる連なったベンチを発見して、恥ずかしげもなく横になった。皆がやってれば怖くなかった。
もちろん盗まれぬようバックパックは枕にして。
しかし寝れない。神経質の塊の私にとって、これは苦行そのもの。
初めてという緊張もあったかもしれない。工夫を凝らして快適さを追求するも全く寝れそうにない。
結局私は、寝そべるだけにして起きることに決めたのだった。
時間だけが過ぎるのを待つ。ネットも使えないし、ただただ暇だった。
朝日が出てきたので動くことに決めた。
もう完全に私は疲れていた。
空港からは地下鉄のような乗り物が市内中心部まで出ていたが、そんなものには乗りたくないぐらい疲れていた。
気持ちはタクシー一択。
それに私の目的は世界のバックパッカーが集う場所、カオサンロードに行くこと。そしてカオサンロードに行くためには、電車に乗っても結局タクシーを使わなければならない辺鄙なところにあるんだから、別に最初からタクシーでいいだろう。
空港を出ると朝なのに暑かった。
「ああ、ついに南国に来たか」っと思ったのだった。
タクシードライバーに、カオサンロードに行くよう告げる。
旅人の間では、”カオサンロードに始まりカオサンロードに終わる”という、どうやらそんなカッコいいセリフがあるらしい。
バックパッカーの一員として、そんなカオサンロードを見てみたかった。
私がタイに来た理由は二つある。
1つ目は、友達というか先輩が昔おすすめしていたパンガン島にいくこと。
そして2つ目は、カオサンロードで生活する、つまり沈没しちゃおうというものだ。
沈没というものが、どういうものなのか体験したかった。
カオサンには何があるんだろう。楽しみだった。
タクシーで向かう途中の景色で、窓越しから見えるバンコクの景色に驚いた。
うわーめっちゃ都会じゃんって思わず言葉に出して驚いた。
なんか言ったか?といった具合にドライバーが反応を示すも、スルーする私。
大都会バンコク。同じ東南アジアでも、以前いったカンボジアとベトナムは何だったんだ。
カオサンロードにつくと閑散としていた。
みんなまだ寝てるんだろう。
お目当てのゲストハウスにいって、空いてるかどうか確認した。シングルルームだ。
それも意外や意外、あまり質はいいとは言えないのにバンコクのゲストハウスは高かった。一泊1300円以上もしたのだ。
ここは世界でも有名な安宿街ではないのか。
今更ドミトリー探しは、疲れたのでもういい。
ちょっとお高いシングルルームで、私はようやく眠りにつけた。
沈没するといいつつ、結局私は、カオサンロードには7日間しか沈没できなかった。
【スポンサーリンク】