紹興へ 【魯迅と紹興酒】
下痢で苦しんだ夜から一夜明け、目が覚めると時計の針は10時をまわっていた。
夜中に2度下痢のために起こされたが、合計して10時間ほどの睡眠ができた。
まだお腹は緩かったが、薬が効いたのか、観光に出かけようと思えばできるほどに体調は改善していた。
しかし、私の旅は無期限の長い旅。何も急いで観光をする必要ないのだ。
私は、寂しさを取り払うことと節約も兼ねて、ドミトリーに出戻りしたい旨をスタッフに告げた。
このとき、またスタッフからお薬をいただいたのだった。
ドミトリーの部屋に戻り、昨日のイギリス人二人に頭を下げる。
昨日はいきなり体調崩して申し訳なかったゴメンと。
「おいおい大丈夫かよ。心配したぞ。今日はゆっくり休みな」とイギリス人
もちろんそのつもりだ。
今日は一日、ネットで中国のことをだらだらと調べるかと思い、スマホ片手にベッドに寝そべった。
中国は、観光ビザなしでは2週間の滞在しか認められていない。中国にもはやゾッコンだった私は、近郊でどこか面白い町はないのかとGOOGLE MAPでサーチをした。
ふと紹興市というワードが目に留まった。
そう思った。
そもそもお酒をあまり飲まない私は、紹興酒なんてもちろん飲んだことがないのだが、私にとってそのワードはとても身近なものだった。
学生時代の私は、わけあって、言わずと知れた中華レストラン「バーミヤン」の常連だった。
誰一人興味なんてさらさらなかったのだが、働いてるメンバーの苗字と顔とシフトは全員一致できた程のお得意様、、、いや、ただの邪魔者だった。
メニューは何でも知っていたし、もちろん料理だってほとんど食べた。
お酒が強くない私でも、ビールも何杯か飲んだし、ワインものんだ。
ただし、得体のしれない、とあるお酒だけは、飲まなかったのだ。
それが紹興酒だった。
紹興酒というお酒は今までに聞いたことがなく、私にとってみればそれは奇妙なものだった。恐らくそれが、たいして好きでもないアルコールへの苦手意識に拍車をかけ、紹興酒をトライするに至らなかった原因だったのかもしれない。
紹興酒は確か100円で、とても安かったから、絶対にいつか飲んでやると思っていたのだが、いつの日かバーミヤンにはいかなくなり、結局飲まないで今日まで過ごしてきた。
久々にみた”紹興酒”に懐かしさを感じてしまった。そして飲んでみたいという気持ちが湧いてしまった。
どうしよう、行こうかな。。。
でも紹興酒激不味かったらどうしよ。。。
迷っていたので、紹興市の観光名所や特徴はないか調べた。
あった。
魯迅の生まれ故郷だ。
魯迅といえば、聞いたことがない人はいないだろう。
中学か高校の国語の授業で、一度は彼の作品で文学を学んだことがあるはずだ。
だいぶ昔の話なので、ストーリーなぞとうに忘れてしまったが、
彼の作品である”狂人日記”を高校で習ったのを覚えている。
狂人日記は、人肉を食べるカニバリズムのお話、という印象が強く思い出に残っていた。
やたら語尾を伸ばす耳障りでウザい国語の先生が
「ンイヤぁぁぁ信じられない話でしょおおお。昔の中国はですねぇええ、人をたべてねえええ、んまあこういうのがあったんですねぇぇぇええええうーーーん理解できませんねぇぇぇえええ恐ろしぃぃぃいい」
といった発言に、私はどうも同意できなかった。
別に、彼が円形脱毛のクソハゲで且つ話し方が気に障るから、などというそんな幼稚な理由による不同意ではない。
私は純粋に、人が人を食らうということに恐怖も違和感も感じずに、むしろ、
”人の肉って美味そう、食べてみたい。魯迅羨ましい”と思ったのだった。
すぐに友達にそれを伝えたところ、
”人の肉とかマジないから、ユッキーやばいよ?”
と軽く引かれてしまった。
私は、この物語の主人公と同様に、もしかしたら狂人なのかもしれない。
これは、何かの縁かな。
そう思って、次の日に紹興市に向かうことにした。
チケットをすぐに購入し、私は心を躍らせて、その日一日を中国語の勉強に費やしたのだった。
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