クアラルンプールへ
チェックアウトタイムギリギリまで居座るのはもはや恒例となった。
重いバックパックを持ってチェックアウトするのは本当に億劫。
しかし今日はマレーシアの首都に行ける。そろそろ都会の空気を吸いたかったのだ。
イポーの街並みを見ながら歩く。イポーはモヤシチキンライスが有名らしく、絶対食べておこうと思っていた。
モヤシチキンライスのお店に到着してモヤシチキンとライスを頼む。
めちゃうま。モヤシとチキン好きにはたまらない。タイのモヤシはしなびてたから、ここのやつにはちょっと期待していた。
シャキシャキ感が半端なかった。もっとここにいればよかったかな。
列車に到着して、チケットを購入した(600円ぐらい)
東南アジアの移動は相変わらず安くて助かる。東南アジアに沈没する人が多いのもうなづける。マレーシアはリタイア後住みたい国ナンバーワンらしいから私も一度住んでみたい
日本では電車を待つのはすごいイライラするが(特に目の前でドアが閉まったとき)
でも海外だと列車を待ってる時間は少し好きだったりする。待ち時間一時間なんて余裕だ。
誰とも絡みなく3時間ほど乗ってクアラルンプールの駅に到着。
もう夜になりそうだった。
クアラルンプールは予想通り都会だった。電車も先進的で驚かされた。チャイナタウンに安宿があると聞いていたので、安宿に向かおうと思ったのだけど、急に胸が苦しくなって気が病んでしまってもう探す気になれなくなってしまった。もちろんその時はドミトリーの気分ではなく、すぐに見つけた少し綺麗なホテルに泊まった。
精神的にきつかったから、この日のクアラルンプールの印象はほとんどない。首都だから都会だなぁとしか思わなかった。
ずっと何もせずにベッドに横たわって数時間経つと、少しお腹が減ってきた。セブンにパンを買いに行こうとした。
セブンに向かう途中で物乞いのようなお婆さんがいた。
物乞いにお金を上げる論に関しては色々な意見がある。
物乞いというシステムを構造的に捉えて考えるならば、旅行者としてのベストなふるまいは”お金を上げない”ことらしい。それは旅前から知ってはいるものの、私は老人にはあげてしまう。
逆に子供にはお金はあげない。飴やお菓子とか、食べられるものがあれば渡せればいいなって思ってるけど、お金を渡そうと思ったことはない。
私は老人の物乞いに対してひどく悲観的な目で見てしまう。
子どもに対しては『まあ将来大金持ちと結婚したら~』とか『努力やアイデア次第で一発逆転あるよなぁ~大きくなれば違う仕事だってできるかも』って楽観的な目で見てしまう。当然、多くの子はそんな簡単に這い上がれないのだろうけど。
人生折り返しの高齢の物乞いは、労働力として必要もされず、今後死ぬまでなんのイベントもないまま、こうやって独り孤独に道の脇にたたずんで一生を終えるのだと考えると、なんかもういたたまれない気持ちになる。
だから、お金をあげた。
できれば独りでいる老人の物乞いは見たくない。タイには沢山いたが、独りで座っている老人を見てると、つらくなって気分が下がってしまう。私もいつか独りぼっちで死ぬのかと考えてしまう。
この日のKLのことはあんまり覚えてない。
寝て起きた次の日に精力的にKL観光できればいいやと思った。本当はこの日に憧れのツインタワー見るはずだったのにね。
まぁ、外からツインタワーのてっぺんらへんが微妙に見えていたのだけど。
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